長州VS藤波 世紀の一戦「有吉反省会」 [スポーツ]
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長州力と藤波辰爾が日テレ「有吉反省会」で滑舌対決を行いました。
テレビ欄にあるとおり、本当に歴史的な対決でした。
思えば約30年前の1982年10月8日から長州力と藤波辰巳のレスラー人生は大きな転換期を迎えます。
長州力こと吉田光雄はミュンヘンオリンピックに出場後、アントニオ猪木率いる新日本プロレスに入団しました。
オリンピック出場という輝かしい実績を引っ提げ、そのままエリート街道をひた走ると思われていましたが、角刈り、パンチパーマという今では考えられないルックスとともに、海外武者修行7は行ったものの中堅レスラーとして伸び悩んでいました。
一方の藤波辰巳は、大した格闘技経験もないまま、日本プロレスに入団。その後日本プロレスの分裂騒動に巻き込まれ、猪木とともに新日本プロレスの旗揚げに関わっています。
体が小さな藤波辰巳は注目を浴びることなく、ひっそりと海外武者修行に出ましたが、海外で実績を積んで1978年に帰国。今ではあたりまえとなったジュニアヘビー級の先駆者として一時代を築きました。
しかしながら、1982年当時、ヘビー級への転向と同時に伸び悩んでいました。
こういった状況の中で組まれた6人タッグマッチで、猪木・藤波・長州組は試合に敗れた後、長州力が突然マイクを持ち、藤波に向かって「俺はおまえの噛ませ犬じゃない」と発言したことでヒートアップ。
ここから長州力と藤波辰巳の死闘が始まりました。それまでにも日本人対決はありましたが、軍団を率い日本人中心の団体戦に持ち込んだのは長州力であり、維新軍にはあのアニマル浜口も名参謀として長州力を支えていました。
また、長州力は維新軍を発展させジャパンプロレスを旗揚げし、ジャイアント馬場の全日本プロレスに上がるなどそれまでのプロレス界の常識を覆してきた、本当に革命的な名レスラーです。
しかし…!有吉反省会で藤波辰巳が長州力の「俺はおまえの噛ませ犬じゃない」は聞き取れなかったと発言するなど波紋を呼んでおり、その藤波も滑舌が悪いことが判明し今夜の対決となったわけです。
30年越しの対決!楽しみましょう!!
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長州力と藤波辰爾が日テレ「有吉反省会」で滑舌対決を行いました。
テレビ欄にあるとおり、本当に歴史的な対決でした。
思えば約30年前の1982年10月8日から長州力と藤波辰巳のレスラー人生は大きな転換期を迎えます。
長州力こと吉田光雄はミュンヘンオリンピックに出場後、アントニオ猪木率いる新日本プロレスに入団しました。
オリンピック出場という輝かしい実績を引っ提げ、そのままエリート街道をひた走ると思われていましたが、角刈り、パンチパーマという今では考えられないルックスとともに、海外武者修行7は行ったものの中堅レスラーとして伸び悩んでいました。
一方の藤波辰巳は、大した格闘技経験もないまま、日本プロレスに入団。その後日本プロレスの分裂騒動に巻き込まれ、猪木とともに新日本プロレスの旗揚げに関わっています。
体が小さな藤波辰巳は注目を浴びることなく、ひっそりと海外武者修行に出ましたが、海外で実績を積んで1978年に帰国。今ではあたりまえとなったジュニアヘビー級の先駆者として一時代を築きました。
しかしながら、1982年当時、ヘビー級への転向と同時に伸び悩んでいました。
こういった状況の中で組まれた6人タッグマッチで、猪木・藤波・長州組は試合に敗れた後、長州力が突然マイクを持ち、藤波に向かって「俺はおまえの噛ませ犬じゃない」と発言したことでヒートアップ。
ここから長州力と藤波辰巳の死闘が始まりました。それまでにも日本人対決はありましたが、軍団を率い日本人中心の団体戦に持ち込んだのは長州力であり、維新軍にはあのアニマル浜口も名参謀として長州力を支えていました。
また、長州力は維新軍を発展させジャパンプロレスを旗揚げし、ジャイアント馬場の全日本プロレスに上がるなどそれまでのプロレス界の常識を覆してきた、本当に革命的な名レスラーです。
しかし…!有吉反省会で藤波辰巳が長州力の「俺はおまえの噛ませ犬じゃない」は聞き取れなかったと発言するなど波紋を呼んでおり、その藤波も滑舌が悪いことが判明し今夜の対決となったわけです。
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